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…前略…
そよ風が吹くと、あたり一面の白い柳絮がくるくると転がり、次第に球状をなし、壁の隅に押しやられる。まだ空いっぱいに舞う綿のような小さな塊は、しばしばあなたの顔にへばりつき、鼻の穴を無理やり塞いでしまう。
…後略…
1934年11月3日
テキストは:
「北京乎・現代作家筆下的北京(1919-1949)」
三聯書店
福建省出身の作家、文学者。学生時代に五四運動に参加。瞿秋白らと「新社会」を創刊。文学研究会を主宰したり、商務印書館で編集に携わる。1931年からに北京大学などで教鞭をとるかたわら、研究にもいそしむ。著書に、「挿画本中国文学史」、「中国俗文学史」など
~>゜)~<蛇足>~~
どこかに柳絮について書いたものがないかと、本を繰っていたところ鄭振鋒の「北平」という文章の中に本の少しですが、触れられていました。「中学生」という雑誌に載せられた文章で、北京の四季を中心に名勝などが書かれています。
柳絮についてはたったこれだけ触れられているだけで、ちょっと不満が残るのですが、出だしには「春北京にやってきたら…」黄砂の出迎えを受けることが書かれていて、とても面白いです。黄砂についての部分は、また別途ご紹介します。
おおよそ北平を訪れたことのある人は、彼女について深い印象をだれもが持っているだろう。北平を離れて後も、しばしば彼女を思い起こさない人はいないだろう。
北平は、人それぞれにとっての恋人のようで、また母親のようだ。そんな彼女は一種の不可思議な魔力で他所から来た旅人たちを惹きつけている。北平に住んでいるときにはまだ何とも感じないが、一旦離れると、すぐさま何とも言いようのない彼女への思いがわきあがってくるのだ。どこに行ったとしても、いつも北京より良いところはないと感じてしまう。……
[中略]
……北平は純朴だ。私達がどこでなにをしても、どこに住んでも、何の気なしに古い破れた服を着たとしても、人々の嘲笑を買いはしない。出かけるときに車に乗らず歩いても、家に帰ってトウモロコシの粉で作った麺を食べようが、高粱の饅頭を食べようが、皮肉を言う人はだれもいない。だから北平を訪れた人はだれもが、貧富を問わずに彼女を賛美し、恋しく思うのだ。
1947年秋北平にて
テキストは:
「北京乎・現代作家筆下的北京(1919-1949)」
三聯書店
謝冰瑩 (1906-2000): 湖南省出身の女流作家。北伐に参加、「従軍日記」を発表。1935年には早稲田大学に留学するも、半日分子として逮捕される。中国に戻り、抗日戦線に参加、「抗戦日記」を著す。教鞭を各地でとった後、1948年台湾へ、師範大学で教鞭をとる。退職後アメリカにわたり、アメリカで死去。代表作は「女兵自伝」。
「ある女性兵士の自伝」、「二つの家庭」が日本語訳されており、「中国現代文学珠玉選・小説3 女性作家選集」(二玄社、2001.3.20出版)で読むことができます。
~>゜)~<蛇足>~~
著者は湖南出身ですが、北京で勉強したことも、教鞭をとっていたこともあり、北京がとても好きな人だったようです。北京を「彼女」といっていますが、北京は「我的母親」といわれるように、女性のようです。
この文章を読んだときに、下手な事を書かなくてもすんだ!と私も思いました。とはいえ、うまく訳せたとは思いませんが...。
間、著者の好きな理由など書かれているのですが、今回は略しました。そんなに長い文章ではないので、機会を見て、全文をご紹介したいと思います。