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Pengzi de 雑記帳
中国に関する雑記、備忘や以前すんでいた北京・蘇州の思いでなどなど
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西湖より包頭まで 2 江南の風物 -01 杭州へ 中編


 民家を見ると多くは瓦葺で牆壁も壁も、同じ形の煉瓦で以て、一廓に築き上げ、
たまには草葺のものもあるが煉瓦に意匠をこらして屋根の端をそらしているのが多い、
それよりも眼につくのは母屋の両側、破風に当たる所に凸形左右三段に抽んでた白壁を立て、
屋根よりも高く超越して其の頂と両肩に古屋根を置いた隔壁の形である、
意匠をこらさ遺て中々振ったものがある。夕日をうけた其の屋並のけしきは格別だが、
これは田舎のみでなく、町家にもあって上海では波形の隔壁が多い。
江南の町はこれがある為めに、展望すると人家櫛比して、いかにも景気がよく見える、
しかも画趣に富んでいて、同時に火災の蔓延を防ぐ利がある。

 我国奈良平野の民家の多くが急峻な藁屋根の母屋を立てて、
その両側に瓦で葺いた隔壁をつくっているのもこの江南の風を移したものであるらしい、
あの国中の高い屋根と白壁が生駒葛城の翠緑にふさわしいように、
江南の民家の隔壁は塔と橋との国に似つかわしい趣を占めている、
ついでにいうが、近畿の都邑にはこの隔壁の名残をとどめて隣の家と家との境目即二階の両端に、
目かくし様の羽建(ウダチ)をつけている所が多い、
古い城下町などことに丁寧に出来たのを見受ける、
これも支那文化の影響の名残であるとかつて内藤博士から教えられたことを思い起す。
ただしこの江南の屋根の形は山東から大連附近迄に拡がっているが、
直隷に入るとまったく趣が変ずる、これも亦注意すべき事実である。

 森と塔と民家の屋根とに離れると、あとは一面の田圃、縦横に横はれる運河溝渠、行けども行けども其の状は変らず。これら浦涇溝渠の揚子江又は黄埔に通ずるものは黄濁をなし民船の往来を見るが、中には全く澄みきった清水の渠がある、図を案ずれば澱山湖に通ずるものである。

 江南一帯これらの渠の水面は田の面よりも3尺ないし6尺位低いのが例である。
見渡す限りの田の面は稲の結実期で灌漑の最重要な時期であるから、
この低い清水を田の中に汲み入れるために、
男が三人もかかって一の水掲車を踏んでいるものもあるが、
多くは牛に水車を曳かしている。
それは龍車と称するもので魏の馬鈞が紀元三世紀頃に発明したもの、
蘇軾の水車の詩に自ら註して江浙間人木水車為龍骨車と記した所のもので
あるいは翻車ともいい千数百年の農具である。

 田の大さは60間に10間2反内外もある長方形が多い、
株裁にした稲が我国の水田と同様に秀でていると、
これに沿うた溝によって、一つの田に一つの龍車が取りつけてある、
それが列をなして円い草屋根が十数個も並んで、中に婦人又は子供が牛の番をする、
牛は車のふちを倦まず倦まず歩む、
車が回わると軸につけてある連綴の木板が回転して槽の下から水を上方に送りだすのであって、
誠に太平の風致である。江南の糧はかくの如く半ば牛馬の灌漑によってつくられる。











龍骨車



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小暑のころ、旧暦の六月といったら蓮見の季節。
 

小暑の七十二候は
一候: 温風至
二候: 蟋蟀居宇
三候: 鷹始鷙
温風(熱風?)が吹きはじめ、コオロギが軒の下に移り、鷹が猛鳥に成長する。

そんな季節が小暑です。
そして小暑の間に、出梅して、一番暑い時期「三伏」を迎えます。
盛夏の始まりが小暑といえるでしょう。

小暑にこの食べ物というのはないのですが、
この時期に始まる三伏の初日には餃子を食べる習慣があります。
ちなみに今年は7月17日です。
暑いのに、水餃子... 水餃子は餃子を茹でたものです。
「もっと熱くなったら餃子も食べたくなくなるし、気合入れ?」
面白おかしくそんな風に解説してもらったことを思い出しました。



~>゜)~<蛇足>~~
 小暑から大暑までが「暑中」の期間です。
 「暑中お見舞い」はこの時期に出します。
 立秋になったらどんなに暑くても「残暑お見舞い」になります。
 子供のころから、なんと理不尽なと思っていました(^^ゞ

~>゜)~<蛇足2>~~
 ここで紹介する七十二候は中国版です。
 日本のものとは違うものもありますのでご注意ください。
 一候、二候、三候と書きましたが、
 日本では初候、次候、末候ですね。

~>゜)~<蛇足3>~~
 ちなみに小暑の日本の七十二候は
 初候:「温風至」 (あつかぜいたる)
 次候:「蓮始開」 (はす、はじめてひらく)
 末候:「鷹乃学習」(たかすなわちわざをならう)
 微妙に違います...

~>゜)~<蛇足3>~~
三伏についてはメインサイトの「三伏」をご参照ください

~>゜)~<蛇足4>~~
蓮見についてはこちらで紹介しています。
北京風俗図譜から十刹海の蓮見



小暑の画像は百度百科から
西湖より包頭まで 2 江南の風物 -01 杭州へ 上編


 8月14日午前6時起床杭州を見物せんものとて王某なる通訳を雇い、
午前七時上海北站に至り直ちに出発、滬杭甬鉄路の客となる、
この鉄道は上海寧波間324マイルで1898年滬寧線と共に英国銀公司(匯豊及恰和洋行)の敷設権を得た処のものであったが、
地方民の反対で1905年英国との契約を破棄せんと企てたが成功せず、
敷設の実権は英国の手に帰し、1905年、本鉄道の為に150万ポンドを借入
1910年上海杭州間122マイル哩余を開通したが杭州寧波の間は銭塘江に隔てられ、
寧波曹娥間だけが1915年に開通し、残りの曹娥杭州50マイルは橋材欠乏のため未開通の状にある。

 支那の鉄道はこの線路のように外国借款を有せざるはない、
本鉄道の如きも英国借款の外に、1912年1月大倉組から、南京臨時政府の財政窮乏を救済するために、20万ポンドを貸し、その担保に取った事もある程であるが、
英国はこの大倉組の行動を目して自国の勢力範囲を侵害するものとした為に、1914年に支那公使の手から直接大倉組本店に250万円を返金したという歴史がある、
広軌4フィート8インチのゲージで、上海北站杭州まで23站を設け、松江嘉善、嘉興の三県を通過する。
特別急行一日2回、急行1回、普通1回、上海嘉興間1回、都合で一日5回しか汽車が通らないのと、乗客の箱の数も10輌以下であるから、
これでは借款の利子を払い、営業費を差引したらば、残りの純益も少ないだろうと思われるが、
その旅客及収入等、年を重ねて膨張し、日下一年間に凡そ450万の人が運れている、
一二等席には差向いの腰掛があってその中間に造りつけの卓子があり、茶や中食を置く場にしてある。
茶は白陶器細い取手のある土瓶に入れ、何回でも湯をさしにくる、
中食も感じのメヌーで牛肉茶(スープ)、酢魚(フライ)、嚼牛仔(ビフテキ)、白粉凍(ジェリー)等と記してある。
味も悪くない、量も多い。支那の食物は廉価であることがうれしい。

 この列車の通る所は、禹貢に所謂揚州で「厥草惟夭、厥木惟喬、厥土惟塗泥、厥田下下」と評した地で、
当時土地卑湿で北方のように畑作に適しないから、下の下という事になっているが、水田としては上の上であり草木のようによく繁る所である。
汽車から見渡せば村落はすべててんこもりした森林の中にあり、四顧茫々溝渠とその並木との平板な土地を塔と橋とによって著しく美化している。
汽車の窓からもっとも目につくのは、あまり高くない禿山の上にあるいは城壁のかなたに空に聳ゆる塔である、
一方に森があり高い山を背景にして一方の低い山、その辺に塔がありそうなと見てゆくと果たしてそこに木々の煩をうけずに一本の塔が超然として独立している、
何とはなしに有難い目標を授けられた気がする、
橋は石又はレンガで畳んだ拱橋、俗に眼鏡橋で、運河面に高く塞がれているのに出逢う、
不細工な格好だが馬鹿に調子がよくうつりがよい、
嘉善嘉興などという小さい県城の城壁が灰色の頑丈なレンガでとりまかれている辺り、
運河をへだてて汽車が通るとき、森と塔と水と家と、しかして橋とまさに一幅の絵画になる。
こわれかけた城壁の目障りにならぬのも面白い。


~>゜)~<蛇足>~~
いよいよ題名にもなっている西湖のある杭州へ。
現在は、高速鉄道(中国版新幹線)が上海と杭州を約一時間で走っています。
本文中で上海北站から杭州まで23站となっていますが、
現在は、上海駅から杭州駅まで10駅です。
西湖より包頭まで 1 上海へ -05 上海の発展

 上海が西洋人の注意に上ったのは十八世紀で極めて最近のことである、
1756年東印度商会のピグーがこの地へ探検者を出したに始まり、
1832年には軍艦ロード・アムホスト号を遣わし、東印度会社の代表としてハミルトン リンジィが乗込み、通訳に宣教師ギュツラフがついて来た、
同年6月21日上海に上陸して道台に海港を談判して埒が明かなかったが、
このときからこの港に目をつけて
10年後の阿片戦争には、パーカーの艦隊が1842年6月16日に呉淞を攻撃し、
二日の後直ちに上海を占領し、南京条約の結果1843年11月17日に至り、支那政府は当時上海に在留中の英国領事バルフォア氏を通じて上海海港の事を公布したのであった。
バルフォア氏は英国民のため、今日の所謂英租界の基を開き鋭意下水とか道路の改善を計ったために、居留外人漸く多くなった、
しかし当初外人のこの地に居住するもの僅に23戸で同年入港船舶は僅に44艘に過ぎなんだとの事であるが爾来78年今日では外人26,000を算し、旧英租界のバンド、南京路一帯の如き各国の商館銀行等櫛比して、目まぐるしいビジネスセンターを作るに至ったことを見れば実に隔世の感がある。

 かように百般の施設の駸々として進歩を遂げたなお一つの理由には1853年の太平天国の乱である。
洪秀全一味の賊軍が四隣を蹂躙し、上海亦其戦禍を蒙り、住民戦々兢々として其堵に安ぜざりしも、
幸いに租界は英軍及義勇軍の守備が堅かった為め、乱民も其毒刃を逞うすること能わず、
為めに租界は一時四辺領民の避難地となったが、
その結果避難民は租界の安穏に慣れて永住することになり、店舗を開く者多く上海城外に一朝にして繁華の巷が出来た、
乱平定の後仏米租界相継で新設せられ、後に英米租界を合して各国の共同租界としたゆえに今日では仏国のみが専管居留地を擁している。

 共同租界の市政は1854年の租界章程に従い、
1855年租界政庁(支那名工部局)を設けたのに始まる、
現在九人の会員よりなる市参事会の執行する所で、九人の会員は英人六名米人二名日本人一名から成立している 
多年築き上げた英人の勢力が尤も大であるのだ。
けだし工部局は上海租界の最高行政機関で、各国領事団之が直接監督権を有し、支那政府の容喙を許さない、如此外国の行政地域を存する所は上海のみでなく各海港場何れも居留地を設定しているところは同様である。
かく居留地又は租界と称するものの出来た根源はと云えば全く南京条約で、
その第二条に広東厦門福州寧波上海に英国臣民が自由に居住貿易を為す権を取得した
に基づき、翌々年の米清条約及仏清条約にも、同様の取極をなすに至ったに始まる。

 かくてこれらの租界はその後支那人の避難地となり、一歩をすすめて政治上の失脚者亡命の輩の極めて安全な逃避地域となるに至ったのである。
もし一朝にして蹉跌するとやがてはここに逃げ込むと云うようなことになり、結局政治を遊戯化するの気分を導くに至ったのである。
これは支那の近世史上著しく目につく事であるが、一上海の発展という事のみの問題でなく、支那建国の基礎に影響している大問題である。
地文的にも人文的にも上海に就いて考えさせられる事は数限りない。


~>゜)~<蛇足>~~
上海の発展..と当時の事を書いていますが、
今となっては「今は昔」
それでも面白い部分です。
[季節の話:夏] 中国版てるてる坊主:掃晴娘

調べてみるとてるてる坊主は中国の”掃晴娘”(サオチンニャン)が由来だそうです。

掃晴娘は天(空)の雨雲を掃いて掃除して晴れにする女神さまといったところでしょうか。

”掃晴娘”とはどんなものなのだろうかと、以前、北京っ子の李華さんにきいたところ、知らない... という返事が返ってきました。そしてしばらくたってから、

「そういえば、小さいころに、軒下に、紙で作った人形というかなんかがぶら下げてったことを思い出したけど、それが掃晴娘だったのかも」

と話してくれました。

その後調べたところ、中国最後の士大夫と言われる作家の汪曾琪(1920-1997)が、
『私の家』(我的家)という文章の中にこんなことを書いていました。

雨は相変わらず降り続いている。
従姉は紙を切ってつくった人形を壁に貼り付けた。人形は片手に箕のを、もう片手には箒を持っている。
風が吹くと、揺ら揺らと揺れる。
これが掃晴娘だ。
ほんとうに不思議なことに、掃晴娘は一日空を掃き
二日目には少しだったが晴れになった。

特徴は、紙で作るということ、名前に掃くとあるように、箒をもっていることのようです。

ほかに調べてみると、顔は白、衣装を着た胴体はいろいろな紙や布で作った人形に箒を持たせたもの... というのもありました。


日本のとは違ってカラフルな掃晴娘
(画像は台湾のもの日本の影響があるような感じ...
台湾のサイトから拾いました)

天を掃くということについて、前述の李華さんが面白いことを話してくれました。

「私は雨が降ったときに、空を掃く動作をするだけれど。
年配の人達がするようなことだから、最近は恥ずかしく、皆が見ていないときにだけするけれど。小さいころからの習慣で、雨がたくさん降っているときにするの。そのことを「掃晴」っていうのよ。」

なかなか面白い風習だと思います。

それからおまけに、小さいころ歌ったと言うこんな歌を教えてくれました。

老天爺 別下雨 蒸了饅頭 往上挙
老天爺 別刮風 蒸了饅頭 往上扔

天の神様、雨降らせないでね お饅頭を蒸したら、あげるから
天の神様、風吹かせないでね お饅頭を蒸したら、あげるから


~>゜)~<蛇足>~~
北京の『晴娘の伝説』はこちらから → 『晴娘の伝説


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