Pengzi de 雑記帳
中国に関する雑記、備忘や以前すんでいた北京・蘇州の思いでなどなど
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨日は旧暦の五月五日、端午の節句でした。
五月に入ってから蝉の声が聞こえ始めましたが、
昨日今日でかなり賑やかになってきました。
本格的な夏到来ですね。
蝉といったらこれかな?という唐詩をご紹介。
虞世南の作です。
画像は百度百科「蝉 (唐代虞世南诗作)」から
五月に入ってから蝉の声が聞こえ始めましたが、
昨日今日でかなり賑やかになってきました。
本格的な夏到来ですね。
蝉といったらこれかな?という唐詩をご紹介。
虞世南の作です。
垂緌飲清露,流響出疏桐。
居高聲自遠,非是藉秋風。
画像は百度百科「蝉 (唐代虞世南诗作)」から
PR
西湖より包頭まで 1 上海へ -02 上海 後編
今日は水曜日とて公家花園(パブリックガーデン)には9時から音楽隊が出演するとの事、
所謂在留外人専用の公園で、蘇州河の黄埔に合する第五港区の西涯を占め
上海繁華街位する所だ、
晩餐をすますと直ぐに行って見る、
秋天の明月、江上にさえて一点の苦も無く、
地上は芝の中に聳えたるニセアカシア又はプラタナスの繁みのなかに、
椅子又はソファーによりかかれる西洋人、
殊に目立つのは洋装美人の綺羅を飾れるが男女手を組み合わせて行き交うありさまで、
中には態と画舫を江に浮かべて音楽に耳を傾くるあり、
庭内のカフェーも亦満庭の来客で盛んなことだ。
我等一行も亦亭に入ってサイダーを飲み冷茶をとる。
このときアイスチーと註文して通ぜず、コールドチーと言い直す、相顧みて苦笑。
空に月、地に音楽、黄埔は昼間の黄濁とさまかわりて水色燦然、一幅の油絵のようだ、
この地に住める西洋人の羽振りのよいのに驚いて、日本人を捜すと、
遠慮気味に木陰にきているものがあるが、和服で風采ひきたたず。
10時帰宿浴後手紙などを書いていると近所から聞こゆる太鼓のひびき、
雑音に混じりて安来節声高らかに伝わる。
ここは文路とて日本人の居住地に近い処からの響きであるが、
公園の音楽をきいた耳で、異郷明月に対し、鄭声をきくあまりよい気持ちでない、
趣味の教養に関して日本人は外人よりも遥かに劣っていることを痛感せざるを得ない。
~>゜)~<蛇足>~~
パブリックガーデン: 現在の黄埔公園。
蘇州河: 呉淞江のことで、上海で黄浦江に合流。
黄埔: 原文では「黄浦」。黄埔が正と思われるので訂正。
今日は水曜日とて公家花園(パブリックガーデン)には9時から音楽隊が出演するとの事、
所謂在留外人専用の公園で、蘇州河の黄埔に合する第五港区の西涯を占め
上海繁華街位する所だ、
晩餐をすますと直ぐに行って見る、
秋天の明月、江上にさえて一点の苦も無く、
地上は芝の中に聳えたるニセアカシア又はプラタナスの繁みのなかに、
椅子又はソファーによりかかれる西洋人、
殊に目立つのは洋装美人の綺羅を飾れるが男女手を組み合わせて行き交うありさまで、
中には態と画舫を江に浮かべて音楽に耳を傾くるあり、
庭内のカフェーも亦満庭の来客で盛んなことだ。
我等一行も亦亭に入ってサイダーを飲み冷茶をとる。
このときアイスチーと註文して通ぜず、コールドチーと言い直す、相顧みて苦笑。
空に月、地に音楽、黄埔は昼間の黄濁とさまかわりて水色燦然、一幅の油絵のようだ、
この地に住める西洋人の羽振りのよいのに驚いて、日本人を捜すと、
遠慮気味に木陰にきているものがあるが、和服で風采ひきたたず。
10時帰宿浴後手紙などを書いていると近所から聞こゆる太鼓のひびき、
雑音に混じりて安来節声高らかに伝わる。
ここは文路とて日本人の居住地に近い処からの響きであるが、
公園の音楽をきいた耳で、異郷明月に対し、鄭声をきくあまりよい気持ちでない、
趣味の教養に関して日本人は外人よりも遥かに劣っていることを痛感せざるを得ない。
~>゜)~<蛇足>~~
パブリックガーデン: 現在の黄埔公園。
蘇州河: 呉淞江のことで、上海で黄浦江に合流。
黄埔: 原文では「黄浦」。黄埔が正と思われるので訂正。
使っている絵は、
雍正帝・乾隆帝の時代の宮廷画家・陳枚の『月曼清游図冊』から
『五月「水閣梳粧」』です。
西湖より包頭まで 1 上海へ -02 上海 中編
午後2時電車にて徐家滙に向う。
市の西郊で青浦に通ずる小渠の屈曲点にある。
電車を下りてからはしばらく田舎になっている。
渠の幅一間半ぐらい、舟居の民が日中賭博をやっている。
暢気な郊外気分だ。
ここの徐家滙天主堂は、明の神宗万暦年間に有名な徐光啓が、
その財産及び土地を寄付してできたものだが、
雍正年間に廃滅したのを、同治十一年に再建したもので、
ゴシック式の堂々たるものである。
この堂の西に光緒二十七年建造の新台がある。
これがすなわち有名な観象台で、
毎日世界各地の天文台及び気象台63か所と通信して
東亜一帯の気象情報を出しているところ。
参観して観測設備無線電信の受信室などを見る。
ここに立派な気象の図書室がある。出版の気象報告類も多い。
ただしこの観象台に付属せる天文台は西60余里を隔てた松江府の北佘(シャ)山にあるにもかかわらず、
ここを徐家匯の天文台という人があるが間違っている。
この天主堂には観象台のほかに博物館、孤児院、蔵書楼など付属していて、
いずれも有名である外に、聖書及び教科書を印刷しかつ販売する土山湾印刷所があるから、
これに立寄って見る。
繁った並木途、古い高塀、陰気なところである。
次に東亜同文書院を尋ねる。
右に宏壮な南洋大学の甍を見つつ、俥を馳せて虬橋路の校門につく。
阪本教授の案内をうけて、
教室、図書館、病院、食堂、寄宿舎等設備の完きに感心する。
教員住宅が路の向側にあるがここはあまりに狭い気の毒だと思う。
頃来敷地取拡げの計画があるとの事であるが、
南洋大学と輪奐の美を競うなどは、とてもであるから、むしろ内容の充実を図るといわれる
明治33年の創立で卒業生千数百を算し
支那各地に分布して大いに日支親善の実を挙げているというので誠にうれしい、
午後六時阪本氏の舎宅を辞す。
徐家滙一帯は実に上海文化の発源地で茫々たる大平野、緑樹鬱蒼たる処
ここかしこに洋館もあれば支那、民家もある。
美わしい郊外である、七時帰宿、この行二哩半。
午後2時電車にて徐家滙に向う。
市の西郊で青浦に通ずる小渠の屈曲点にある。
電車を下りてからはしばらく田舎になっている。
渠の幅一間半ぐらい、舟居の民が日中賭博をやっている。
暢気な郊外気分だ。
ここの徐家滙天主堂は、明の神宗万暦年間に有名な徐光啓が、
その財産及び土地を寄付してできたものだが、
雍正年間に廃滅したのを、同治十一年に再建したもので、
ゴシック式の堂々たるものである。
この堂の西に光緒二十七年建造の新台がある。
これがすなわち有名な観象台で、
毎日世界各地の天文台及び気象台63か所と通信して
東亜一帯の気象情報を出しているところ。
参観して観測設備無線電信の受信室などを見る。
ここに立派な気象の図書室がある。出版の気象報告類も多い。
ただしこの観象台に付属せる天文台は西60余里を隔てた松江府の北佘(シャ)山にあるにもかかわらず、
ここを徐家匯の天文台という人があるが間違っている。
この天主堂には観象台のほかに博物館、孤児院、蔵書楼など付属していて、
いずれも有名である外に、聖書及び教科書を印刷しかつ販売する土山湾印刷所があるから、
これに立寄って見る。
繁った並木途、古い高塀、陰気なところである。
次に東亜同文書院を尋ねる。
右に宏壮な南洋大学の甍を見つつ、俥を馳せて虬橋路の校門につく。
阪本教授の案内をうけて、
教室、図書館、病院、食堂、寄宿舎等設備の完きに感心する。
教員住宅が路の向側にあるがここはあまりに狭い気の毒だと思う。
頃来敷地取拡げの計画があるとの事であるが、
南洋大学と輪奐の美を競うなどは、とてもであるから、むしろ内容の充実を図るといわれる
明治33年の創立で卒業生千数百を算し
支那各地に分布して大いに日支親善の実を挙げているというので誠にうれしい、
午後六時阪本氏の舎宅を辞す。
徐家滙一帯は実に上海文化の発源地で茫々たる大平野、緑樹鬱蒼たる処
ここかしこに洋館もあれば支那、民家もある。
美わしい郊外である、七時帰宿、この行二哩半。
カレンダー
最新記事
(06/10)
(06/04)
(05/09)
(04/26)
(04/03)
カテゴリー
P R
ブログ内検索