Pengzi de 雑記帳
中国に関する雑記、備忘や以前すんでいた北京・蘇州の思いでなどなど
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蘇州は江蘇省にあります。
江蘇省は、日本の西日本のあたりに位置し、
気候は日本によく似ています。
世界地図を広げて、中国・上海を見つけたら、
そのすぐ西が蘇州です。
ちなみに中国版新幹線で25分。
上海の西に太湖という湖がありますが、上海と太湖の間です。
(かなり西寄りですが...)
~>゜)~<蛇足>~~
地図は「中国まるごと百科事典」http://www.allchinainfo.com/の
フリーダウンロード地図を使わせていただきました。
地図をクリックすると、大判の画像が出てきます。
江蘇省は、日本の西日本のあたりに位置し、
気候は日本によく似ています。
世界地図を広げて、中国・上海を見つけたら、
そのすぐ西が蘇州です。
ちなみに中国版新幹線で25分。
上海の西に太湖という湖がありますが、上海と太湖の間です。
(かなり西寄りですが...)
~>゜)~<蛇足>~~
地図は「中国まるごと百科事典」http://www.allchinainfo.com/の
フリーダウンロード地図を使わせていただきました。
地図をクリックすると、大判の画像が出てきます。
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蘇州日記をご紹介するにあたり、蘇州についてご紹介します。
現在の蘇州の日本でいうところの旧市内を中心にした地図を
百度マップから拾ってみました。
水色のお堀に囲まれているのが、いわゆる蘇州城です。
城とは言いますが、
日本の平城京、平安京の「京」にあたると思っていただけたらわかりやすいと思います。
はてさて
蘇州城は、中国でも有数の古都です。
どれぐらい古いかというと春秋時代にまでさかのぼります。
春秋五覇のひとり呉王・闔閭が、伍子胥に命じて作った都が「闔閭城」。
現在に至るまでの蘇州の基になっています。
現在残っている最古の地図は『平江圖』という、
石碑に刻まれた地図です。
これは南宋の時代、1229年に彫られたもので
その拓本の写しです。
わかりやすく白黒反転させたものがこれです。
ほとんど変わっていないのがお分かりいただけると思います。
蘇州は、紀元前500年ぐらいから続く、中国有数の古都なのです。
現在の蘇州の日本でいうところの旧市内を中心にした地図を
百度マップから拾ってみました。
水色のお堀に囲まれているのが、いわゆる蘇州城です。
城とは言いますが、
日本の平城京、平安京の「京」にあたると思っていただけたらわかりやすいと思います。
はてさて
蘇州城は、中国でも有数の古都です。
どれぐらい古いかというと春秋時代にまでさかのぼります。
春秋五覇のひとり呉王・闔閭が、伍子胥に命じて作った都が「闔閭城」。
現在に至るまでの蘇州の基になっています。
現在残っている最古の地図は『平江圖』という、
石碑に刻まれた地図です。
これは南宋の時代、1229年に彫られたもので
その拓本の写しです。
わかりやすく白黒反転させたものがこれです。
ほとんど変わっていないのがお分かりいただけると思います。
蘇州は、紀元前500年ぐらいから続く、中国有数の古都なのです。
『蘇州日記』 01
昭和13年
12月○日 東方文化研究所より外務省在支特別研究員の交渉を受く。
昭和14年
04月05日 上京。1日外務省に至り面会。
05月○日 過誤により第三種留学生に選ばれたるにつき辞退。日比野同ず。月末在支特別研究員を命ぜらる。
07月14日 身分証明書来る。日比野、大島両氏は7月2日出発。北京に向う。
07月24日 警察署より証明書を受く。
08月02日 夜、上京。8日墓参。1日帰路。
08月11日 上賀茂田端氏邸に末次晋氏を訪い、蘇州に於ける宿所を同氏宅に求む。蘇州城内五州路同益里第三号。
08月14日 郵船鎌倉丸申込み。
08月24日 母の喪に遇う。
09月04日 11日迄出発延期届を1付提出。
09月05日 郵船香取丸に申込み。
09月06日 香取丸一等Bに予約。
09月22日 朝8時出発。正午神戸出帆。
09月23日 門司2時発。
09月25日 支那時間11時30分上海着。
-*-*-*-*-
解説;
東方文化学院:
義和団事件(1899年)の賠償金で作られた日中共同の東方文化研究所。
相互理解のための文化研究所。
日中双方に設立、日本側は東京研究所と京都研究所がありました。
1938年に
東京研究所→東方文化研究所
京都研究所→東方文化学院
改称。
いってみれば外務省管轄の東アジア専門研究機関。
身分証:
ここでいう身分証は、パスポート。
同益里:
百度地図から....
地図の「1」あたりが同益里。
四角い水路は蘇州城のお堀、お堀の内側は昔からの蘇州なので、
蘇州のど真ん中あたりです。
郵船香取丸:
日本郵船の欧州航路の貨客船。
ということは上海にも立ち寄ったんですね。
(この船については、サイト「なつかしい日本の汽船」さんをご覧ください。)
(欧州航路の船だということも、そちらで勉強させていただきました)
(船についての紹介は、門外漢が書くよりも、ぜひ「こちら」をご参照ください。)
予約したものの乗船で気なかった鎌倉丸はポートサイド航路でした。
こちらも、サイト「なつかしい日本の汽船」から判明しました。
~>゜)~<蛇足>~~
特別研究員として中国に行けるはずだったのが、第三種留学生....
第三種留学生がどんなものかわかりませんが、文字からして底辺ですよね。
そりゃ辞退するでしょう。
どんな待遇だったかは想像するしかありませんが、かなり違うのがわかります。
すったもんだはあったのでしょうが、特別研究員としての派遣が決まってよかったですよね。
待遇、全然違ったと思います。
私の時代は、中国が留学費用をもつ国費と、それ以外の自費がありました。
費用の面でかなりの違いがありました。
ちなみに私は、成績及ばず自費でした....(^^ゞ
自費の中には、会社派遣などの人たちもいましたね。
私は最底辺の、自費の自費の留学生でした。
香取丸については、サイト「なつかしい日本の汽船」を参照させていただきました。
(転載許可をいただきました。ありがとうございます)
日本から海外に渡った文豪諸氏などなど、
どんな船に乗っていったのか.... 調べてみたいと思っているところです。
神戸-上海航路:
この日記の中で 神戸-上海間は
22日神戸正午出港、25日11:30上海到着。となっています。
現在も神戸-上海航路はあります。
週一便で、火曜日11:30神戸出港、木曜日11:00上海到着。
詳しくは新鑑真http://www.shinganjin.com/をご覧ください。
昭和13年
12月○日 東方文化研究所より外務省在支特別研究員の交渉を受く。
昭和14年
04月05日 上京。1日外務省に至り面会。
05月○日 過誤により第三種留学生に選ばれたるにつき辞退。日比野同ず。月末在支特別研究員を命ぜらる。
07月14日 身分証明書来る。日比野、大島両氏は7月2日出発。北京に向う。
07月24日 警察署より証明書を受く。
08月02日 夜、上京。8日墓参。1日帰路。
08月11日 上賀茂田端氏邸に末次晋氏を訪い、蘇州に於ける宿所を同氏宅に求む。蘇州城内五州路同益里第三号。
08月14日 郵船鎌倉丸申込み。
08月24日 母の喪に遇う。
09月04日 11日迄出発延期届を1付提出。
09月05日 郵船香取丸に申込み。
09月06日 香取丸一等Bに予約。
09月22日 朝8時出発。正午神戸出帆。
09月23日 門司2時発。
09月25日 支那時間11時30分上海着。
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解説;
東方文化学院:
義和団事件(1899年)の賠償金で作られた日中共同の東方文化研究所。
相互理解のための文化研究所。
日中双方に設立、日本側は東京研究所と京都研究所がありました。
1938年に
東京研究所→東方文化研究所
京都研究所→東方文化学院
改称。
いってみれば外務省管轄の東アジア専門研究機関。
身分証:
ここでいう身分証は、パスポート。
同益里:
百度地図から....
地図の「1」あたりが同益里。
四角い水路は蘇州城のお堀、お堀の内側は昔からの蘇州なので、
蘇州のど真ん中あたりです。
郵船香取丸:
日本郵船の欧州航路の貨客船。
ということは上海にも立ち寄ったんですね。
(この船については、サイト「なつかしい日本の汽船」さんをご覧ください。)
(欧州航路の船だということも、そちらで勉強させていただきました)
(船についての紹介は、門外漢が書くよりも、ぜひ「こちら」をご参照ください。)
予約したものの乗船で気なかった鎌倉丸はポートサイド航路でした。
こちらも、サイト「なつかしい日本の汽船」から判明しました。
~>゜)~<蛇足>~~
特別研究員として中国に行けるはずだったのが、第三種留学生....
第三種留学生がどんなものかわかりませんが、文字からして底辺ですよね。
そりゃ辞退するでしょう。
どんな待遇だったかは想像するしかありませんが、かなり違うのがわかります。
すったもんだはあったのでしょうが、特別研究員としての派遣が決まってよかったですよね。
待遇、全然違ったと思います。
私の時代は、中国が留学費用をもつ国費と、それ以外の自費がありました。
費用の面でかなりの違いがありました。
ちなみに私は、成績及ばず自費でした....(^^ゞ
自費の中には、会社派遣などの人たちもいましたね。
私は最底辺の、自費の自費の留学生でした。
香取丸については、サイト「なつかしい日本の汽船」を参照させていただきました。
(転載許可をいただきました。ありがとうございます)
日本から海外に渡った文豪諸氏などなど、
どんな船に乗っていったのか.... 調べてみたいと思っているところです。
神戸-上海航路:
この日記の中で 神戸-上海間は
22日神戸正午出港、25日11:30上海到着。となっています。
現在も神戸-上海航路はあります。
週一便で、火曜日11:30神戸出港、木曜日11:00上海到着。
詳しくは新鑑真http://www.shinganjin.com/をご覧ください。
『蘇州日記』高倉正三著 (光文堂)のご紹介
最近、再読している蘇州語研究者であった高倉正三氏の
1941年9月から1943年3月までの日記をご紹介することにしました。
75年ほどまえの蘇州の様子をお伝え出来たらうれしいです。
できるだけ解説に力を入れたいと思っています。
第1回は、昭和13年(1937年)~14(1938)年9月の出発前夜まで。
留学生選抜から、渡航準備の日記です。
(第2回から中国国内になります。)
お楽しみいただけたら嬉しいです。
注意:
読みやすくするため、
漢数字はアラビア数字に、
旧字体は、新字体に
書き換えています。
~>゜)~<蛇足>~~
表紙を開けたところのこの地図。
オリジナルを現在探しているところです。
~>゜)~<蛇足>~~
私の留学記念日は1983年9月4日。
友達といつも祝っています。
あのころももう、歴史の一部になっていますが、
それよりも昔の留学生の先輩の生活の様子を、
紹介したいです。
最近、再読している蘇州語研究者であった高倉正三氏の
1941年9月から1943年3月までの日記をご紹介することにしました。
75年ほどまえの蘇州の様子をお伝え出来たらうれしいです。
できるだけ解説に力を入れたいと思っています。
第1回は、昭和13年(1937年)~14(1938)年9月の出発前夜まで。
留学生選抜から、渡航準備の日記です。
(第2回から中国国内になります。)
お楽しみいただけたら嬉しいです。
注意:
読みやすくするため、
漢数字はアラビア数字に、
旧字体は、新字体に
書き換えています。
~>゜)~<蛇足>~~
表紙を開けたところのこの地図。
オリジナルを現在探しているところです。
~>゜)~<蛇足>~~
私の留学記念日は1983年9月4日。
友達といつも祝っています。
あのころももう、歴史の一部になっていますが、
それよりも昔の留学生の先輩の生活の様子を、
紹介したいです。
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