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Pengzi de 雑記帳
中国に関する雑記、備忘や現在住んでいる蘇州の様子などなど
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立冬の七十二候は
 一候: 水始氷(水、始めて氷る)
 二候: 地始凍(地、始めて凍る)
 三候: 雉入大水為蜃(雉、大水に入り蜃と為る)
 水も大地も凍り始め、雉を見かけなくなる季節です。


 参考までに白露の日本の七十二候は
  初候:「山茶始開」(つばきはじめてひらく)
  次候:「地始凍」(ちはじめてこおる)
  末候:「金盞香」(きんせんかさく)


~>゜)~<蛇足>~~
 雀は蛤になりますが、雉は大蛤(蜃)になるんですね...
 昔の人の想像力には感心してしまいます。

立冬の画像は百度百科から


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戊戌年十月新旧対照カレンダー




使っている絵は、
雍正帝・乾隆帝の時代の宮廷画家・陳枚の『月曼清游図冊』から
『十月「文窗刺綉」』です。
~>゜)~<お断り>~~  
 突然ですが、途中をすっ飛ばして、北京編を連載しています。
第五章 燕京の二日間 
 北京   (5-01) 前編 後編 
 紫禁城  (5-02) 前編 後編    
 地質調査所(5-03) 

第六章 包頭行
 京綏鉄道 (6-01) 
 明の十三帝陵(6-02) 
 居庸関  (6-03) 
 万里長城 (6-04) 前編 後編 
 墩台の連互(6-05) 
  (北京以外の部分飛ばしています)

第七章 北京滞在
 中央公園 (7-01) 
 京師図書館(7-02)
 通恵河  (7-03) 前編  ←NEW!!!





『西湖より包頭まで』目次

著者旅行行程略図 (0-00)

第一章 上海へ (1-00)
 揚子江口 (1-01) 前編 中編 後篇
 上海   (1-02) 前編 中編 後篇
 上海の通貨(1-03) 前編    後篇
 過去の上海(1-04) -01  -02 -03 -04
 上海の発展(1-05) 上海の発展

第二章 江南の風物
 杭州へ  (2-01) 前編 中編 後編 
 杭州西湖 (2-02) 前編 中編  (……中断しています……
 城隍廟
 夏服



第五章 燕京の二日間 
 北京   (5-01) 前編 後編 
 紫禁城  (5-02) 前編 後編    
 地質調査所(5-03) 

第六章 包頭行
 京綏鉄道 (6-01) 
 明の十三帝陵(6-02) 
 居庸関  (6-03) 
 万里長城 (6-04) 前編 後編 
 墩台の連互(6-05)   ←NEW!!!
  (北京以外の部分飛ばしました)




~>゜)~<蛇足>~~
 やはり... 一番好きなのは北京で、そこに行くまでに、なんとなく飽きてきてしまいました。
 気合を入れる意味で、とりあえず北京の紹介をしようと思います。
 悪しからずご了承ください。

2018/09/24


霜降の七十二候は
 一候: 豺乃祭獣(豺すなわち獣を祭る)
 二候: 草木黄落(草木、黄落す)
 三候: 蟄虫咸俯(蟄虫ことごとく俯す)
 狼が捕まえた獣を食べ、草木が色づき落葉し、虫たちは冬眠に入る季節です。


 参考までに白露の日本の七十二候は
  初候:「霜始降花」(しもはじめてふる)
  次候:「霎時施」(こさめときどきふる)
  末候:「楓蔦黄」(もみじつたきばむ)



~>゜)~<蛇足>~~
 秋の最後の二十四節気です。

西湖より包頭まで 7  北京滞在 -03 通恵河、(観象台、雍和宮、文廟等)前編


 

9月13日、午前8時起床。顏を洗い居れば田中多田二君帰宿。
毛も延びたとて散髮をする。
武川に行く途で多くの出稼人の帰るに逢うた。
中秋節を期として奥地から引上げるのだそうな。武川の盆地も既に漢人の居住する所で蒙古人の片影をも見なかつたと失望しての話である。
そこへ農商部の章鴻釗氏の来訪をうく、前日の歓待を謝す。
午前11時になった。今日は二閘<アルチャー>に行かうと西田君を誘うて出かける。
それは元代大運河の起点であるから水路も見また閘というものを実見したいからであった。

『元史』を見ると「通恵河其源出於白浮甕山諸泉水、世祖至元二十八年,都水監郭守敬、奉詔興擧水利因建言疏鑿通州至大都河、(中略)玉泉諸水至西水門入都城、南滙爲積水潭(北海其他)、東南出文明門東至通州高麗莊入白河、總長一百六十四里一百四步、云々」 とある。
『畿輔通志』によるとこの甕山は萬壽山で玉泉から出る水が萬壽山下で昆明湖となる。
その水をひいて北京の西門に来って一部は城壁の外の濠にする。
一部分は城内に引き入れて、北海中南海をはじめ皇居の濠および金水河となるが、
それが御河となって文明門、すなわち今の正陽門外に出て、東して護城河と合し
それから通州までを運河にしたといふのである。
しかしこの運河は元以前にあったもので、隋代「永済渠を北涿に通じた」とあるのがすでににその最初最らしい。
故に郭守敬がこの運河を作って所々に閘門をつくつた時、その閘の位置から旧牌の磚木を得て時の人を感心さしたとある。
至元二十九年に出来上つたが、それ以前は糧食は通州から陸運であったので、人民大にこの運河を徳とした。

『畿輔通志』に「崇文門外の三里河は元時の文明河、糧儲の運道で銕閘今猶存する」とあるが、
この三里河は正陽門の東南天壇附近の池へ流れる川のことで、昔はここへ運河がきたのである。
して見るとこの元の通恵河が、今のこの二閘のと同じ川であつたとはちょっとうけとれない。
思うにこれは元代以後、数数百年度々改修したからで、
元代には閘が七ヶ所もあり江淮の舟直ちに都城まで達したとあるのに、
今は通州までに閘が五つで、しかも閘を舟が通り得ない。
全く変わっている。
けだし元の都を継承した明の初めに、一時この元の運河は淤塞していたから、
永楽に再びこれをつくり、その後、成化・正徳の間、度々改修し、
最後に嘉靖六年に今日の通恵河が出来たとあるから、
昔のままに今もあると考えてはならぬのである。


燕京雑考> 燕京歳時記 七月 「灯篭流し」...より
 

~>゜)~<蛇足>~~
 二閘の昔の写真は
 ブログ「枫影斜渡_vwb的博客
 「一张京杭大运河大通河上庆丰闸(二闸)的老照片」より

~>゜)~<蛇足2>~~
 「二閘」の「閘」は水門のことで、
 「二閘」は北京から数えて第二水門という意味です。
 北京郊外の夏の行楽地で、
 清の時代は、中元には精霊流しでにぎわったそうです。


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