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Pengzi de 雑記帳
中国に関する雑記、備忘や現在住んでいる蘇州の様子などなど
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西湖より包頭まで 1 上海へ -04 過去の上海 
資料: 長江河口の海岸線の変化


★三皇五帝 伝説期


★夏


★商(日本でいうところの殷)


★西周(日本では周)


★春秋(西周)

 
☆三国


☆西晋(日本では晋)


☆唐


☆北宋


☆南宋


☆元


☆明


☆清




~>゜)~<蛇足>~~
カラーの部分はその時代の地図。
茶色の線は、現在の海岸線です。
時代名の前に★が付いているものは
郭沫若『中国史稿地図集』中国地図出版社から
時代名の前に☆が付いているものは
『中国歴史地図集(全8巻)』中国地図出版社から


~>゜)~<蛇足2>~~
王朝名が日本で習うものと違っているものもあります。
詳しくはこちらをご覧ください。
→ メインサイト → 王朝と年代
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西湖より包頭まで 1 上海へ -03 上海の通貨 後編

 かように銀両の基礎たる平に於て、不統一になれた人民は、
普通流行の雑多の通貨に対しても申水(打歩)をつけて取引することになれているので、
複雑な感情を苦も無くやってのける。
両銀には普通大なるもの50両内外の馬蹄銀と、10両内外の鐘状をなせる銀錠とがあって、いちいち重量と純分とを検定して授受し、公佔局の刻印が入っている。
我々観光客はこんな貨幣を見ないで、大洋と称する元銀を持たされる。

 大洋には湖南、湖北、浙江、広東等の造幣局鋳造の龍洋とて龍を刻した通宝
すなわち大清銀幣および民国三年新に鋳造を始めた袁世凱の肖像を印せる元銀及墨銀香港銀などがある。
もとは墨銀を鷹洋と言い信用甚だ厚く、一般物価の基礎貨幣となり、
他の1圓銀貨は打歩をつけたものであるが、事実墨銀には偽造贋造変造の喪のが多くて、授受の際いちいちその銀色音響を検査する必要があって煩わしいものである。
然るに1913年以後上海市場の墨銀在高は増加し1,000万ドルを下らず、
且地方農家が墨銀と大洋を平価にて授受するに至って、墨銀の相場は幾分低落した。

 大洋の中では袁世凱の大洋が第一で、これさえ持っておれば、支那は尤も安心である。次に小洋銭は2角(20セント)1角(10セント)の2種があるが、
その品位は大洋の891.47に対して、小洋は820位だから、
その2角5個又は1角10個で1元に相当しない、
普通小洋11枚半で1元検討であるけれども、それは大体のことであって市場在高の多少によって日比野相場が一定しない不便がある。

 銅貨は1900年以来鋳造のもので我2銭銅貨大のものと1銭銅貨大のものとの二種がある。
銅幣児(トンペイ)というて1銭銅の方(当制10文)が尤も広く行われる。
これは車夫に支払ったり、一寸した買い物をするのに尤も必要なものであるが、
これを銅貨と交換する小商人は市中至る所に居る。
さらに制銭とて穴あきの1文銭があるが、これは上海では苦力などの用うるもので我々は手にする機会がない。

 この外横浜正金銀行とか台湾銀行の如き外国銀行の発行する兌換銀券があり
又中国銀行、交通銀行などから発行している兌換券があって、
いづれも1元2元5元10元50元100元500元の7種の外2角1角の紙幣を出している。
しかしてこの券面には、上海とか、南京とか、漢口とかその通用市の名前が入っていて、これを他の市に持ってゆくと割引される恐がある。
であるから上海付近に居る間にはそこで費やしうるほどの金だけを寮買いしておいて、決してその紙幣を南京や漢口へ持ってゆかぬことである。
で漢口では又漢口の紙幣を、そこで費す丈両替して使用するのであるが、然らずんば袁世凱の大洋を携行するに限る。

 しかし夏の旅に大洋の百弗ももって行けばとても重くて歩けない、
おまけに銅貨の1ドル分200枚も持たされてはたまったものではない、
かつまたその支払いの面倒な計算に至っては、とても幣制画一で十進法に慣れた日本人には理解が出来ぬ、これを支那人ならば三才の児童猶よく之を弁ずる。
或人曰く「どうも支那人のほうが頭がよさそうだ」と 
で今度の旅行では、この小銭の出入の如きは大抵通訳に任せておいて、敢て之に関係せないことにきめた。
但し画する場合通訳にして支払いの上前をはねないのはないが、この事も大目に見ておくことにしたのである。



~>゜)~<蛇足>~~
タイピングしておおよそを理解することに徹したため、
これをご紹介してよいの顔も思いましたが、ま、それはそれ....
貨幣の写真などは紹介したいです。
西湖より包頭まで 1 上海へ -03 上海の通貨 前編


 この日、文路日本堂にて地図絵葉書を求めた際、
1圓90銭だというから大洋2ドルを払った処、1ドル7角にてよろしいという、
小洋12枚で大洋1ドルに当たるからである。
さてその小洋1角は銅子14枚に相当するというから計算が中々面倒である。
けだし上海に来た日本人は恐らくまずこの貨幣の不統一なのに面食らわされるであろう。

 聞いてみると、現今上海に於いて使用せらるる通貨には
両銀、墨銀、元銀、小銀貨、銅貨、制銭、兌換券及び手形類がある。
それがいづれも比価がややこしい。

 普通の大取引には両を単位にするが、両と云うものは名目上の貨幣で、実際かかる単位を有する貨幣はない。
即ち両とは銀の重量、成分及其他の商協定との三要素より成立する流通価格で、
貨幣単位というよりもむしろ秤量の単位とでもいうべきであるが、
しかも支那で貨幣を秤量するに用うる平(衡器)はすこぶる多く、
古来中央及地方の官府見な同一の平を用いないで、
収入には大を用い、支出には小を用い、
地方官府は中央へ送銀の際に用うる平より更に大なるものを以て民に臨むとい工合で、その乱脈驚くべきがある。
しかし1858年以後海関両を統一して関平1両581.47グレーンと定まった。
しかしこの定まった一両に対する成貨がないから、
その地方の通用銀と海関両との比価を定めて、関税を徴収している、
関平の外に政府の庫平民間に用うる曹平市平などいうものは、
各地各様にして取引は極めて複雑であるが、
そこは支那人だから、何れも或一種の標準平に対し、一定の比を以て生産しつつあるのである。


~>゜)~<蛇足>~~
貨幣制度はとても苦手な分野です。
いつも遠回りして触れないようにしていました(^^ゞ

この時代、かなり複雑になっています。
使用されている通貨も上述に「墨銀」と入っていますが、
これはメキシコ銀貨のこと。
解説を始めると、いつまでたっても『西湖から包頭まで』の「西湖」=杭州にたどり着かないので、また何かの機会に....
西湖より包頭まで 1 上海へ -02 上海 後編

 今日は水曜日とて公家花園(パブリックガーデン)には9時から音楽隊が出演するとの事、
所謂在留外人専用の公園で、蘇州河の黄埔に合する第五港区の西涯を占め
上海繁華街位する所だ、
晩餐をすますと直ぐに行って見る、
秋天の明月、江上にさえて一点の苦も無く、
地上は芝の中に聳えたるニセアカシア又はプラタナスの繁みのなかに、
椅子又はソファーによりかかれる西洋人、
殊に目立つのは洋装美人の綺羅を飾れるが男女手を組み合わせて行き交うありさまで、
中には態と画舫を江に浮かべて音楽に耳を傾くるあり、
庭内のカフェーも亦満庭の来客で盛んなことだ。
我等一行も亦亭に入ってサイダーを飲み冷茶をとる。
このときアイスチーと註文して通ぜず、コールドチーと言い直す、相顧みて苦笑。
空に月、地に音楽、黄埔は昼間の黄濁とさまかわりて水色燦然、一幅の油絵のようだ、
この地に住める西洋人の羽振りのよいのに驚いて、日本人を捜すと、
遠慮気味に木陰にきているものがあるが、和服で風采ひきたたず。

 10時帰宿浴後手紙などを書いていると近所から聞こゆる太鼓のひびき、
雑音に混じりて安来節声高らかに伝わる。
ここは文路とて日本人の居住地に近い処からの響きであるが、
公園の音楽をきいた耳で、異郷明月に対し、鄭声をきくあまりよい気持ちでない、
趣味の教養に関して日本人は外人よりも遥かに劣っていることを痛感せざるを得ない。


~>゜)~<蛇足>~~
パブリックガーデン: 現在の黄埔公園。
蘇州河: 呉淞江のことで、上海で黄浦江に合流。
黄埔:  原文では「黄浦」。黄埔が正と思われるので訂正。
西湖より包頭まで 1 上海へ -02 上海 中編

 午後2時電車にて徐家滙に向う。
市の西郊で青浦に通ずる小渠の屈曲点にある。
電車を下りてからはしばらく田舎になっている。
渠の幅一間半ぐらい、舟居の民が日中賭博をやっている。
暢気な郊外気分だ。

 ここの徐家滙天主堂は、明の神宗万暦年間に有名な徐光啓が、
その財産及び土地を寄付してできたものだが、
雍正年間に廃滅したのを、同治十一年に再建したもので、
ゴシック式の堂々たるものである。
この堂の西に光緒二十七年建造の新台がある。
これがすなわち有名な観象台で、
毎日世界各地の天文台及び気象台63か所と通信して
東亜一帯の気象情報を出しているところ。
参観して観測設備無線電信の受信室などを見る。
ここに立派な気象の図書室がある。出版の気象報告類も多い。

 ただしこの観象台に付属せる天文台は西60余里を隔てた松江府の北佘(シャ)山にあるにもかかわらず、
ここを徐家匯の天文台という人があるが間違っている。
この天主堂には観象台のほかに博物館、孤児院、蔵書楼など付属していて、
いずれも有名である外に、聖書及び教科書を印刷しかつ販売する土山湾印刷所があるから、
これに立寄って見る。
繁った並木途、古い高塀、陰気なところである。

 次に東亜同文書院を尋ねる。
右に宏壮な南洋大学の甍を見つつ、俥を馳せて虬橋路の校門につく。
阪本教授の案内をうけて、
教室、図書館、病院、食堂、寄宿舎等設備の完きに感心する。
教員住宅が路の向側にあるがここはあまりに狭い気の毒だと思う。
頃来敷地取拡げの計画があるとの事であるが、
南洋大学と輪奐の美を競うなどは、とてもであるから、むしろ内容の充実を図るといわれる
明治33年の創立で卒業生千数百を算し
支那各地に分布して大いに日支親善の実を挙げているというので誠にうれしい、
午後六時阪本氏の舎宅を辞す。
 
 徐家滙一帯は実に上海文化の発源地で茫々たる大平野、緑樹鬱蒼たる処 
ここかしこに洋館もあれば支那、民家もある。
美わしい郊外である、七時帰宿、この行二哩半。
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